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リーダーの教養 佐々木常夫

知識の豊富な人が必ずしも教養人とは限らない。
いくら知識を集めても本当の教養は身につかない。
いたずらに知識に寄りかかることなく、自分の目でものを見て
自分の頭で考える力がある。現実を正しく直視、把握して、そこから
自前の判断力や洞察力を養うことができる。そうした能力は、教養の土台
をつくる重要な材料のひとつである。

素質の高さに寄りかかって、組織で働くための努力を怠ることには注意が必要だ。
仕事を進めるうえでコミュニケーションをとったり、協力関係や信頼関係を築く
必要性がある。知的エリートとしての有能さは必ずしもマネージャーやリーダーとして
の優秀さを保証するものではない。

人材とはあらかかじめできあがった人間の中から輩出されるものではなく、会社の中で
仕事をさせながら育てていくべきものだ。

カントは知(知性)、情(感情)、意(意志)の総和やバランスも大切になってくる。
思考力や判断力、分析力に加えて協調性や関係調整力、情報伝達力や自己制御力
情熱や粘り強さなど気概やリーダーシップといった人間くさいEQ的能力を身に付ける
努力をし、部下とよくコミュニケーションをとり人間的信頼関係を築く。

リーダーに必要とさせる教養とは、あくまで成果につながる教養でなくはならない。

座学をいくら積み重ねても実学にはならない。経営の秘訣や成功の要諦は人から
教えてもらうのではなく、仕事の現場から自分の経験を通じて、汗や涙とともにつかみ
とるしかない。

本こそ読まないものの、現場から学ぶ力が並外れていたという点で、また、自分でもの
を見て、考え、学ぶ、自前の強い頭をもっていた点で、本田宗一郎は一流の教養人で
あったというべきです。

人間性とスキル併せ持つ教養の複線化を図れ。
全人格的な教養を養うことが人生の大事な仕事。

1.仕事で身に付ける教養の型

礼儀正しさという基礎教養を身に付ける。
人に会ったら挨拶は忘れない。人から何かしてもらったら必ず礼を言う。
間違ったことをしたら素直に謝る。時間を守る。嘘はつかない。
根本的なモラル。人間と原理原則の大切さである。

礼儀正しさにまさる攻撃力はない。

成功する人の共通点は規律を重んじている。

繰り返し体にしみ込ませたものが型となり、その型をしっかり身につけることで、
それにふさわしい中身もだんだん備わってくる。頭で知るのではなく、体に刻み
つけるようにして覚えたことは単なる職業上の技術の域を越えて、人間の生き方
の心棒となる。教養というのは本来そういうものである。

型は繰り返すことでみにつくものです。仕事も含めて、あらゆる習い事というのは、
最初は単調な繰り返しに終始させられるものです。なぜ、繰り返しがかくも重要なのか
といえば、技術や技能というのは無意識にそれが行える域に達して、はじめて修得
したといえる。

とりわけ若い時分に心がけていたのは一歩先をいくということである。

思考や意思による行動よりも、無意識や習得に基づく行動の方が物事をうまく進める
すべとなるのは、決してめずらしいことではない。ひとつの習慣が自分の仕事のスタイル
になり、それが大きな成果を生み出すもととなる。良い習慣は才能を超える。

世のため、人のためという志が大きな成果を生む。

いや、私たちがまず目指すのは、世の中のためになる製品をつくる。この一点である。
世の中の役に立つものをつくれば、たくさん売れる。たくさん売れれば、黙っていても自然に
コストは下がっていく。アップル

利益を出すという使命を課せられて企業も、その根底にあって利益の原動力となるものは
社会のため、お客様のためという利他的な思いなのです。それを気概や心意気といってもいいし、
理念や志であるといってもいい。その志と利益のせめぎあいを宿命づけられているところに
企業活動の厳しさがあり、面白さがあるように思えます。

欲が磨かれて志になる。欲から出発して志に到達する。

2.教養のレベルは言葉にあらわれる

言葉は量ではありません。その価値は質にかかっている。
口にする言葉がどれだけ中身や実体がともなっているか。

言葉を使って話をすることは、絵の具を使って絵を描くようなものである。
たくさんの色の絵の具を使えばいい絵が描けるとは限らない。
言葉で大切なのは数ではない。技術でもない。一番肝心なのは言葉の根っこ
にある思いである。

あなたの言葉には行動が伴っているか。

もし、言葉に中身を込められる人、言葉に行動がともなう言行一致の人を
教養人と呼ぶのなら、幕末の吉田松陰などは日本有数の教養人といえる。
知識を得る以上に、志を立てることに重きを置き、その志を実行することを
さらに重んじた。

立志と実行。
実践がともなうのでなければ、どれほど知識を蓄えようとも、何の意味も価値も
ないと考えていた。

教養なき言葉は死を招く。

言葉が使いようによっては、人々をあざむき、誤った方向にも導き、ときには命まで
奪いかねない。

言葉はいつも大切に、慎重に扱って、うかつ、おろそかには口を開かないこと。不要な
言葉は呑み込んで、必要なだけ吐き出すのが教養ある人間の言葉遣いである。

禅宗では言葉のことを月を指す指である。
月はどこに出ていますかと聞かれて、あそこですと指で指し示す。
そうして月のありかがわかったら、もう指は不要になる。
指はあくまで月のありかを知らせる方便であって、月そのものではない。
こんなたとえによって、言葉というものが手段にすぎず、決して目的や本質ではない。

言葉は組織を動かし人を用いるときの触媒である。
上司からの指示、部下からの報告、取引先との連絡、会議における意見交換
など全て言葉を介して行われる。言葉は仕事を進め、人を動かしていくときの
触媒になる。組織体全体を生かしている血液みたいなものである。

リーダーがどんな言葉を使うかによって組織の進む方向がきまり。
組織を構成するメンバーの意欲や意識も左右され、結果的に事業の成否
を分けることにもなる。

組織を率いるリーダーにとって言葉は武器であり、命でもある。
ヤマト運輸の小倉昌男氏の言葉、サービスが第一、利益が第二という言葉
が象徴している。

良きリーダー像は一緒に仕事をしていると勇気と希望を持てる人である。
もうダメだという苦境にあるとき、あとひと踏ん張り頑張ろうといえる人。
みんなが尻込みをしているときに、私が行こうという言葉を口にできる人。

習慣といえば、言葉が人の心に浸透し、その人の意識や行動を変えていくため
には、雨だれが石をうがつように何度も、何度も繰り返述べ、伝えることが大切。
これを言葉の反復連打という。

考えは言葉になり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり
人格は運命となる。マーガレット・サッチャー

自分を変えたい時も自分以外の他人や周囲を変えたいときも、必要なのは反復連打
とその継続である。

3.教養人は人付き合いが上手

人は一人では生きていけない。いくら自立していても、人には穏やかに接して仲良く
付き合うべきである。それを和合という。自立と和合は組織で働く人間にとって欠かせ
ない条件、すなわちリーダーの教養にとって不可欠といえる。

分け隔てなく人に会い、誰からも謙虚に学ぶ。

明治維新は人が人に会い、人から学び合う事によって時代の潮流をつくっていった。
その点で、あの時代は空前にして絶後の時代であった。

身近な相手にもリスペクトの心をもって接する。

素直、謙虚、分け隔てない態度。人間関係を円滑にするにはいろいろな要素が
必要ですが、相手を尊重し、尊敬する姿勢もきわめて大事な条件である。

目上の人ほど聞き役に回る。

聞く力は学ぶ力である。

まずは和すことを第一に努め、さらにできれば和して同ぜずの姿勢を貫けば
理想といえる。

単一文化の力学は組織を弱体化させてしまう。

長い目で見れば、モノカルチャーは組織を弱体化させるが、ダイバーシティ(多様性)
は組織強化につながっていく。

出来る人間より、できない人間に目配りとサポートに重点を置く。
組織力強化にはそれが一番効果的である。

4.現場でしか学べない教養がある

理論を現場に当てはめることが間違い。

教科書に書かれた経営理論とは一定の距離を置いて、現場、現実から
栄養分を汲み取ることに力を入れることが大切である。

理論と現場、知識と知恵、基本と応用など上手にミックスしていくことが大切である。

現実把握力は一朝一夕で身につくものではない。現場でじっさいに仕事に関わり
場数を踏むことで養っていくしかないものである。

経営に必要な直感的な洞察は何によって磨かれるのか。
多くの現場での体験は現場感覚や現実把握力を養い。直感的な洞察力を磨いてくれる。

交渉事の駆け引きが必要となる場では、その場の空気や相手の言葉や表情の裏に隠れた
真意を読み取るカンが大切になってきます。

ビジネスマンの幸不幸の多くは上司によって決まるものである。
どんな上司を持ったか、上司がどんな言動、ふるまいをするかは部下たちの意欲や動機づけ
に大きな影響を与える。

日頃から大きな信頼残高を構築しておけば、多少厳しいムチを振るっても、その残高は
目減りするようなことはない。

正面の理、側面の情、背面の恐怖。この3つのバランスを上手にとることが部下の能力の
伸長や彼らの人間的な成長に大きく貢献していく。

5.人間の中身を磨く教養の身につけ方

古代ギリシャでは、若者を鍛える条件として知育、体育、徳育の3つの重視した。
それぞれ頭の教養、体の教養、心の教養である。専門性の重視とは頭の教養のみに
狭く偏った教育や学問である。人を育てるうえでは弊害が大きい。

人はいつからでも伸び、どこでも学べる。
志、努力する気持ちさえ失わなければ、教養を蓄えていくことが可能である。

禅が教えるように、人間の成長は本来、時間や場所の制限を受けない自在なものである。
教養を積むのに遅すぎることはないし、学校に通う必要もない。自分自身を伸ばす行為に
勝手に限界意識を設けないことが大切である。

内省が経験を識見に変える。
対外的には互いに敬いながら健やかな人間関係を育み。
対内的にはとりおり立ち止まって、自分の心を見つめ直す。自らを省みる行為は人間の
成長を加速させる。

体験が自分にもたらしたものは何か、そのとき自分がとった方法は正しかったのか、
他にもっといい方法はなかったのか、成功の要因は何なのか、失敗の原因はどこに
あったのか。そうした分析や反省を通じて、経験の意味をしっかり振り返ってみることが
大切で、そうすることではじめて経験が知識や知見として自分の内部に血肉化し、成長の
糧になる。

逆境にあっても楽観論を失うな。
悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。アラン
悲観的な気持ちに落ち込むのは必ず心を感情に任せたとき。
必ずよくなる。よくならせてみせると希望的、楽観的になれたのは意志に
基づいた現実を見つめ、将来を想像したときである。

追い込まれた状態でも希望を忘れない楽観論者は現状打破のパワー、
つまり物事を変えていく力に富んでいる。

本物に触れて教養のふところを広げよ。
視野や知識を広めて教養のポケットを増やせるか。
その有力な方法のひとつに本物に触れることがあげられる。

自分なりの論語と算盤の両立をめざす。
お金儲けには道徳の裏打ちが必要である。

現場に足を運ぶことが人生の教養を深める肥やしである。
現場体験抜きでは理解できないことが世の中にはたくさんある。
現場に触れることなくしては、本当の意味での人生の教養も磨かれない。

映画以上にリアルに様々な人生を疑似体験できるメディアといえば
本があげられる。

読書は多読より精読である。読んだ内容をしっかりと身に付ける。

面白いと思う本、興味を覚える本を読むのが一番身に付く。

新聞は読まないで眺めなさい。

6.素の教養を磨く

捨て方でその人の教養が測れる。

人はムダを生む。
人はムダと縁を切れない生き物であるだけに、物の捨て方でその人の知性や
教養がある程度測れる。

得るより手放すことに基軸を置く。
禅の考えには捨てる思想が脈打っていて、禅語にもそうした言葉がたくさんある。

一人の人間の中にはいろいろな自分がいる。
周囲との関係性によって、私たちはいろいろな顔をもっている。

自分という人間をどこから見られてもかまわない。
何の隠し事もない。このありのままの姿をどうぞご覧になってください。
こういえる人間ほど強いものはない。

信頼関係があれば、自分を隠したり飾ったりせず、自然体でふるまうことが
いちばん自分という人間を相手に伝えやすい。

一芸に秀でることで専門外の視野も広がる。
人間の教養というのは深さが広さに通じていく側面がある。
一芸に秀でることによって視界が開け、視野が広がる。専門外への理解力
推察力、想像力もつちかわれる。

知らないことを知らないと言えるのも知性のなせる技です。

一芸に精通すること、ひとつの道をきわめることが大切なのは、人は得意な
ものを深めることでもっとも大きく伸びられるからである。

ひとつの分野に精通すれば、その深さが広さにつながっていく。
得意を伸ばす過程で得た知識や経験は他分野にも応用でき、更に伸び代を
広げる契機ともなる。

7.人格は他社から見た教養

人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり。老子

自らを知る明こそ、教養に必須の要件といえる。人間が人を見る目はたいてい
他人に厳しく、自分に甘いのが相場である。

普通の人間は自分の能力に関して40%インフレで考え、他人の能力に関しては
40%デフレで考える。

人の噺を聞いて、自分より下手だと思ったら自分と同じくらい。
自分と同じくらいだと思ったら、自分よりうまい。自分よりうまいと思ったら、自分より
ずっとうまい。

人間の中身は外見に否応なくあらわれる。

自分が他人からどう見られているかという客観的な視点の備えがあるのとないのとでは
自分の言動やふるまいに大きな差が生まれる。

教養とは本や学問を通じて得た知の集積だけが教養ではない。
社会における様々な経験知、実践知をもとに獲得していく総合的な能力。
柔らかい思考力、的確な判断力、鋭い分析力、集中力、把握力、問題解決能力
自己制御力、コミュニケーション能力や関係調整能力。さらには協調性や
情熱、粘り強さや気概。知、情、意におよぶ人間まるごとの幅広い能力を意味する。

人格の土台をなし、人間の器を大きくし、私たちの人生に豊かな果実をもたらして
くれる広い視野と深い見識、多様な物の見方や考え方。それを人生の教養という。

弱い人間ほど他人の欠点や失敗に狭量であり、不寛容である。
強い人はそれに対しておおらかであり、寛大である。

寛大さは人間の度量という教養が大いに試される。

寛容は相手への信頼がなければ生じない。人生の教養を備えるのに必要なのは
信頼である。人を信頼し、人から信頼される。人間関係の基本中の基本である。

見返りを求めないいさぎよい教養。

教養とは生き方の問題である。
















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