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コミンテルンの謀略と日本の敗戦 江崎道朗

1917年に起きたロシア革命によってソ連という共産主義国家が誕生した。
ソ連はコミンテルン(共産主義インターナショナル)という世界共産主義者ネットワーク
を構築し、世界革命を目指して各国に対する工作を仕掛けた。世界各国のマスコミ
労働組合、政府、軍の中に工作員、つまりスパイを送り込み、秘密裏にその国の世論
に影響を与え、対象国の政治を操ろうとした。日本に対するコミンテルンの工作が
垣間見えたのがゾルゲ事件である。その一人である尾崎秀実は近衛首相のプレーン
であった。日本もまたマスコミ、官界、軍部、大学などコミンテルンの影響を受けていた。

コミンテルンによる工作活動には、機密情報を盗むことなど、情報収集も含まれている。
それよりも、宣伝戦、情報発信の方が大事なのである。出版物は全て党の管理下に置か
なければならないというのは言論の自由を認めないということだ。共産党の影響を受けた
政党や左翼メディアが自分たちと意見が違う言論の自由を認めず弾圧するのはこのためだ。
(社会主義インターナショナル加入条件についてのテーゼ1920年8月6日第二回大会)

コミンテルンの運動方針の冷酷さは、革命のためには社会を分断し、混乱させ、人々の
不信と憎悪を高め、戦争を引き起こすような悪魔的な手法も厭わない。それによって
多くの争乱、戦争、虐殺が引き起こされ夥しい人々が非業の死を遂げることになった。

コミンテルンの工作が巧妙なのは、共産党の勢力拡大や共産主義者を増やすことで革命
を成功させようなどとは考えなかったことだ。革命を成功させるためには、共産主義を理解
していない人たち、つまり、共産主義に反対する自由主義者、資本家も利用することが重要
だと考えていた。またインテリ層に働きかける議論だけでなく、大衆工作、共産主義の影響下
にある大衆組織の拡大。労働者、農民、兵士である。

戦前の日本は日本共産党を厳しく取り締まりながら、一方で軍官民、マスコミへ内部
浸透工作を許してしまった。その原因は、第一は経済政策の失敗。経済理論への無理解
がコミンテルンの跳梁跋扈を許してしまった。適切な経済政策をすることなく、社会主義者
を弾圧しているだけではそれを防ぐことはできない。第二は戦前の政府が右翼全体主義者
である上杉慎吉の天皇主権説を正しいと考え、五箇条の御誓文や大日本帝国憲法など
議会主義や官民協調の趣旨を主張していた美濃部達吉や吉野作造のような自由主義者を
弾圧した。第三は貧民救済を願う人たちを社会主義者、共産主義者のレッテルを貼って
反体制へ追いやってしまったことである。謀略や工作は仕掛ける側の問題ではなく、仕掛け
られた側の問題も大きいという至極当たり前のことを今改めて心に銘記すべきである。

戦前の日本はエリートの日本と庶民の日本が分裂し、エリートの日本は皇室を戴く議会制
民主主義や自由経済を支持する保守自由主義を奉じる人々と、社会主義に共鳴し言論
統制を好む左翼全体主義、皇室を尊崇しながらも言論統制を好み、政府による言論統制
に親近感を抱く右翼全体主義の3つに分かれ混乱していた。明治大正の帝国憲法下の
日本の保守本流は保守自由主義であったが、昭和初期の大日本帝国憲法体制を左右
の全体主義者が葬り去ろうとしたため大東亜戦争の大敗北という悲劇に見舞われた。

日本のエリートはいちはやく西洋の学問、知識、技術を導入することで日本の近代化を
果たして西欧列強からの圧迫をはねのけるべく考えるあまり、庶民層から分断され、日本の
歴史・伝統を軽視するようになっていた。日本の塊と社会主義という相矛盾する価値観を
抱えていた。庶民と異なりエリートの多くは自国の伝統を軽んじることを教えられ、精神的
な空洞の中に追い込まれていた。富国強兵という名の近代化の背後で進行していた
エリートの祖国・伝統喪失状況を知らなければ戦前の日本のことは理解できない。

日本は明治維新を成し遂げたのち、近代化と称して西洋の文明を取り入れることに懸命に
なる。西洋文明を取り入れ、経済的にも軍事的に発展していくことが日本の独立を守ること
だと信じた。その結果、親が教える価値観や伝統や文化を受け継がないことがエリートの
条件になってしまった。

日本のエリートたちが懸命に学んだ欧米において、当時、流行していた政治思想が
進歩主義と社会主義であった。進歩主義はフランス革命に影響を与えたジャン・ジャック・
ルソーの思想に端を発する思想で、歴史・伝統・文化を敵視し、それらを解体しなければ
進歩がないという考え方である。社会主義は労働者を救うためには資本主義を打倒しな
ければならないというものだ。その背景は近代産業国家の発展に伴って生じた労働者の
劣悪な環境である。日本はドイツ・フランスを手本にして学ぼうとしたことの影響が大き
かった。

日本の保守派の多くは道徳や家族制度、国防や外交の方に注目し、経済問題の
重要さをわかっていなかった。この構図はいまもそれほど変わっていない。
日本の社会主義者の大部分は最初はただ真面目に貧民を救いたいという願いを抱いた
人々であった。真摯に貧困問題に取り組もうとして、結果的に社会主義に惹かれていった
若者たちに対する右翼の対処はあまりにも愚かであった。右翼とは社会主義者や左翼を
批判し、その言論の自由を奪うことが国を守ることだと考えている方々だ。
我が国の歴史や伝統を尊重し、言論の自由を尊重しながら、国民経済を再建しようとする
伝統派、保守派ではない方々である。これを右翼全体主義者といいます。
政府や右翼全体主義者は理論的に反論するのではなく、ただ取締と弾圧で臨んだ。

これはコミンテルンの工作にしてやられる土壌をつくった。
そうなるべく下準備をし、工作にしてやられる土壌を整えたのは明治以降の近代化という
欧米化のもとでのエリート教育の歪みであり、近代産業国家として発展していく中で生
まれた労働問題、貧富の格差問題であり、日本政府と右翼全体主義者の愚かで誤った
対処の仕方だった。

これに対して吉野作造は民本主義を主張。一般民衆の意向を重んじ、民衆の福利となる
ような政治を行うことである。また明治時代には維新の元勲たちがおり、帝室論のような
知恵を出す福沢諭吉のような識者がおり、皇室と政府とのある種2重政府で貧困問題に
対応しようとした。

政府が経済政策を誤り、貧困や労働問題が一気に解決されない中で、その解決に
真面目に取り組もうとするエリートたちの選択肢は社会主義のイデオロギーしかない
ように見えた。それは日本のみならず欧米でも見られた風潮である。

大正から昭和初期にかけて貧困問題や労働問題に取り組もうとする人々が民のための
政治を求めて政府を批判すると、非国民のレッテルを貼られて反体制に追いやられる
流れがあった。

共産主義とは突き詰めて単純化するなら、生産手段を国有化して、一党独裁のもとで徹底
した経済的平等を目指す考え方だ。資本主義社会では土地や資金、工場など生産手段の
私有化を認めているから、金持ちと貧乏人といった格差が生まれる。地主と小作人、経営者
と労働者といった具合に。そこで労働者の政党、共産党が政権をとり、共産党主導で武力を
もって強制的に土地をとりあげ、経営者からは工場をとりあげ、国有化、労働者全員で共有
すれば格差は解消され、労働者の天国を実現できる。共産主義者は基本武力革命を支持し
議会制民主主義に対しては否定的なスタンスをとる。

社会民主主義勢力は、基本的に生産手段の私有化を否定して平等社会を目指すが、その
実現のための武力革命は否定し、あくまで選挙で支持を集め、議会制民主主義の手続きを
踏まえていく手法を採用する。

平和という言葉は一般的には戦争がない状態を指す。国際間のバランスオブパワーを維持
しながら、戦争がない状態を維持できていれば平和が保たれている。しかし、レーニンや
共産主義者にとっては、そもそも戦争の根本原因は資本家によるマーケットの奪い合い
(帝国主義戦争)なのだから、資本家階級による国家を解体してプロレタリア独裁を打ちたて
ない限りは平和にはならない。平和とは世界中でプロレタリア革命を起こして、ブルジョワジー
を徹底的に排除し、共産党による独裁政権を樹立すること。

レーニンは政治は先を見通す力が極めて重要になる。帝国主義者、資本主義国の政治指導者
たちが、労働者を戦争に追いやって殺している。帝国主義者に殺されたくなければ、世界共産主義
の旗の下に馳せ参じることが大事である。自国で戦っている戦争への協力を徹底的に拒否し、
サボタージュ戦術をとり、自国をむしろ積極的に敗戦の危機へ追いやり、その危機的状況から
内乱・革命を惹起し、それに乗じて権力を握るべきである。それこそが正義だとした。
戦争を敗戦、内乱へと導き、混乱の中で武力革命を起こして権力を握ることを敗戦革命論という。
ヨーロッパの繁栄と文明を守るためには、戦争を引き起こす資本主義国家を滅ぼすしかなく
そのためには、共産党の手で国家権力をブルジョワジー(資本家)から奪取しなければならない。

共産党は常に武力を蓄えて備えを怠らず、いざという時が来てコミンテルン中央の司令が発せ
られたら、内戦に突入し、ブルジョワジーの政権を倒して武力で権力を奪取しなければならない。
これがコミンテルン加盟条件に課せられた義務なのである。

コミンテルンの組織論、運動論にとって一番重要な点は、誰が共産党の敵なのか決定できるが、
共産党の中央執行委員、すなわちトップだけだということだ。トップが敵だとすれば、誰でも殺す
ことができる。こういう組織論、運動論に立って実際に言論弾圧や粛清が行われてきたのである。
これはコミンテルン設立どころかボリシェビキ結党から続いてきた体質である。

日本共産党はコミンテルンの指示を受けた中国共産党の指揮下で結成された。
コミンテルン⇒中国共産党⇒日本共産党という指揮命令系統と資金の流れが出来上がった。
中国共産党日本特別支部に所属する中国共産党員たちは、日本共産党と連携しながら
大学、言論界、労働界、そして軍部や満鉄関係者に対しても工作を仕掛けていた。

ウィルソン大統領こそがコミンテルンの育ての親である。
ウィルソンは第一次世界大戦の講和条件について有名な14か条の原則を発表した。
オーストリア・ハプスブルグ帝国内の民族自決、バルカン諸国の独立、トルコの少数民族の
保護と自治。要するに民族自決という名のもとに、ヨーロッパおよびトルコの分割・解体を図り
弱体化することによって、相対的にアメリカの立場を強くしようという考えに立脚している。

アメリカのウィルソン主義はイギリスの覇権を抑えてアメリカの権益を拡大させる。
日本の大アジア主義もイギリス・オランダに対抗してアジア解放を夢見ている。
そしてレーニンはイギリス・アメリカ・日本の思惑を睨みつつ、英米日の相互対立を煽って
帝国主義戦争を引き起こし、その大混乱の中で敗戦革命論を実現させることを狙った。

5.15事件の檄文と共産党の宣伝パンフレットの文章を比べてみると天皇制打倒を除けば
用語も論理も非常に似ている。青年将校たちが憤った昭和恐慌は、政治家が国民のことを
思っていなかったからでも、財閥が私利私欲を求めたからでもなかった。資本主義の欠陥
でもなかった。世界的なデフレに対して金本位制復帰という形でデフレをさらに悪化させる
という日本政府当局の判断ミス、政治家の経済音痴が引き起こしたものだった。
石橋湛山はデフレ不況時は積極財政であるべき、金保有量しか通貨を刷れないのは愚の
骨頂であると発言したことからわかっている政治家もいた。

統制派対皇道派の対立が始まったのは、日本共産党による日本軍浸透工作が活発化した
1932年頃からであった。226事件でソ連に対して警戒心が強い皇道派が排除され、陸軍
の主導権は新統制派によって握られた。

尾崎秀実が日中戦争の長期化を目論んだのは敗戦革命論の影響である。
戦争を長引かせることで、日本社会の矛盾と混迷を増し、その虚をついて革命を実現しよう
との計画だ。そして軍部の戦時経済統制熱を利用して、戦争継続をテコにして、統制経済の
国家体制を確立し、共産主義社会へと転換させればよいと考えていた。

一般兵士には反戦平和を訴え、政府や軍部へ入り込んだスパイは帝国主義戦争を引き
起こし、混乱させるべく暗躍する。さらに国内の混乱を助長するために、議会への不信感を
煽る。共産主義社会を実現させるために、自由主義経済の問題点を強調し、積極的に統制
経済を推進する。

既成の政治家たちに対する不信が強まれば、革命を起こしやすくなる。彼らからすれば不信を
煽り、不満を高め、国内を混乱に陥れることこそが共産革命の早道なのである。
共産党を叩くだけでは、共産主義の脅威を克服することはできない。共産主義の脅威を克服
しようと思えば、共産党、コミンテルンの戦略、戦術、歴史を知らなければならないのだ。

議会を破壊し、全廃し、そのあとに共産党が指導するプロレタリアート独裁の政治を打ち立てる
ことが歴史的な任務であるとコミンテルンは主張している。議会制民主主義が行われている国
では議会は民意を反映される根幹だ。だが、共産党にとって位置づけは全く違う。
ブルジョワジーによる抑圧と従属の道具にすぎない。だから破壊すべき対象なのだと。
議会制民主主義を破壊した上で、プロレタリアート、つまり共産党一党独裁の政治体制を
構築する。その際には、自分たちと異なる政党の参加は一切認めない。異論は認めない。
選挙という形で示された人民の多様な意思はプロレタリアート独裁にとって邪魔なので認めない。
それは有害なのだ。

議会において資本家たちの矛盾、汚職や利権体質を徹底的に宣伝し
政治家の個人的なスキャンダルがあれば徹底的に暴露していくことで、政治家不信を徹底
的に煽り、国民の間に政治不信と議会不信を高めていく。
そうすることで選挙に行っても政治は変わらない。議会制民主主義ではダメだ。直接民主主義
つまりデモや抗議集会、武装闘争でしか世の中は変わらないと国民に刷り込む。
この手法は共産党や左派野党が多用している。

議会や政府内部にスパイや同調者のネットワークを張り巡らし、政治を混乱させようというのが
コミンテルンの方針である。

1940年全ての国家機関が一つの指導下に置かれ、その最高指導者は天皇に対する唯一の
輔弼者になるという構想になり、大政翼賛会結成となった。既成政党は全て解党し、議会制
民主主義は否定され、一党独裁を目指すことになった。その背景には旧体制、財閥の政治的
な代弁者になっている既成政党が日本の政治をおかしくしているというコミンテルンの宣伝が
影響している。社会主義に傾倒したエリートたち、マスコミ関係者による議会制民主主義批判
既成政党批判、資本主義批判、かくして改革を待ち望む大衆の支持を得て、大政翼賛会という
反資本主義、反英米、全体主義の政治体制を生み出してしまった。

左翼からの転向者たちが官庁や会社、半官的研究機関に入り、自己の主張を政策に織り込もう
とすることを内部穿孔工作という。コミンテルンの手法は、内部穿孔工作といって政府、議会、団体
軍、マスコミなどに入り込んで内部からその組織をコントロールしようとする。既成政党不信、政治家
不信から官僚と軍官僚主導の政治が生まれ、その政策立案の多くが社会主義者に委ねられてしまった。
戦争を長引かせて、その間に戦時統制体制を徹底的に日本に導入し、共産主義への地盤をつくりあげ
ようとした。軍部、官僚中の進歩的分子と国民の進歩的分子の結合とは大政翼賛会のことである。
大政翼賛会は人民戦線理論を適用してつくられたものである。

支那事変の長期化を画策し、近衛新体制と大政翼賛会の旗を振って、日本をまるでスターリンかヒトラー
支配下のような全体主義体制にする動きを担っていたのは、左翼知識人と革新官僚たちであった。

相手国の情報を盗むことだけがスパイ活動ではない。
相手国の政府やメディアなど様々なところに入り込み、世論を動かしたり、政府の政策に影響を与えたり
して、ありとあらゆる手段で相手国に不利に、自国に有利にする積極工作がソ連の工作の特徴だ。

戦前の日本を大きく見誤る大きな原因は、保守側をどう分類するか混乱しているためだ。
わかりやすく二分するなら、戦前には保守自由主義という思想の持ち主と右翼全体主義という
思想の持ち主がいた。大日本帝国憲法が規定した議会制民主主義を否定して、統制主義的な国家
体制(高度国防国家)を目指し、大政翼賛会のような運動を推し進めたのが、右翼全体主義であり、
その背後で暗躍したのが左翼全体主義である。

国内の言論界では支那事変解決のためと称して日本と中国が反資本主義の国家的連合を目指す
べきだとする東亜共同体論が台頭していた。三木清、河合徹、尾崎秀実らは日本の帝国主義的体質
を改め社会主義的経済体制に意向すべきで、東亜100年戦争を戦い抜くべきだと論じた。
軍や官の中に社会主義に染まった人々がいて、彼らが戦争の長期化を目論見、日本をおかしな方向
へ向けている。それに対して庶民がおかしいと思い始めた。
昭和研究会の三木清らが主張したアジアの植民地や中国の解放は、明治以来の日本のアジア主義
と通底するように見えるが、その意図はアジアの共産化であった。

近衛公の新体制運動。
新体制論という名のもとに政党政治は潰され、帝国憲法も骨抜きにされた。その背後には
昭和研究会の暗躍があった。戦争から統制経済へ。全体主義から革命へ。という流れが
本格化していく。
当時のマスコミを賑わせていた長期戦争論、東亜共同体論、東亜新秩序論、政治新体制論、
経済新体制論、大政翼賛会運動、隣組など一連の性格はそれぞれ背景を持ち、相互に深い
関連性があった。大東亜戦争開戦直前、日本は思想的に乗っ取られた。

企画院作成 国防国家の綱領より。
日本の国策機関たる企画院が、日本は全体主義の国であり、自由主義に代わって全体主義の
秩序をつくると標榜している。言論の自由を認め、自由な論議を戦わせる中でよりよい政治を
目指した大日本帝国憲法の理念を否定しているのだ。
経済活動の自由の否定、議会政治の否定、自由主義、個人主義の否定。
国防国家の綱領こそ近衛内閣、企画院に巣食った右翼全体主義者と左翼全体主義者のマニフェスト
である。彼らの目指したのは国民を隷属させるソ連管理型社会である。

明治以降、日本の歴史と伝統を蔑視するエリートの日本と日本の良き伝統を引き継いでいる庶民の
日本があった。

コミンテルンの工作は確かにあった。共産主義者や社会主義者の確信犯もいた。
しかし大きな構図としては日本の自滅だった。無思想が国を誤る。
大日本帝国憲法の君民共治の理想、議会制民主主義、五箇条の御誓文に示された言論の自由
日本の伝統思想を小田村寅之助は守ろうとした。

経世の学問とは、欧米の最新の学説を日本に紹介することではない。日本の伝統を小馬鹿にして
自分の立身出世だけを考えることでもない。学問に励むとは、万人の苦しみ、悲しみを、自分の心
の中に人一倍敏感に受け止め得るように自分の心を鍛えていくことである。世の人々の苦しみ
悲しみを受け止められるよう感受性を研ぎ澄ませ、そこで直面した課題を解決できるよう懸命に
努力する生き方を目指すことだ。小田村らは古典を読み、経済を学び、直面する時代の課題に正面
から取り組んでいった。

日本が目指してきたのはエリートが世の中の全てを取り仕切る全体主義ではありえない。
お互いが自らの足らざるを自覚しつつ、お互いを支え合い、創意工夫をしながら、より高きを
目指す自由な社会のあり方こそ、日本本来の姿なのである。右翼全体主義者はごくひと握りの
優秀なものが社会を指導すべきだと考える。レーニン、スターリン、ヒトラー式の全体主義に
幻惑されていた。

日本はソ連コミンテルンとアメリカのウィルソン主義者という2つの敵挟まれていた。

日本のエリートの多くが共産主義に憧れ、ソ連が共産主義の国であるというだけでソ連にバラ色
の夢を描き、日本をよくするためには共産主義体制にすべきだと信じ込んでいた。
そういう人たちが昭和研究会に入り込み、官邸に入り込み、企画院に入り込み、改造社のような
メディアに入り込んだ。
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