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知の操縦法 佐藤優

学校や職場で複雑な日本語を用いていても、日常的には簡単な
話し言葉しか用いていないと、急速に読む力が退化する。
読む力は表現力の基本だ。読む力以上の聞く力、話す力、書く力
を持っている人は少ない。ネット環境が充実した結果、知的退行
が起きている。このような状況から抜け出すためには読む力を
強化しなければならない。

日本では客観性、実証性を軽視もしくは無視して自分が欲する
ように物事を理解する反知性主義が大手を振って歩いている。
これに新自由主義の進行による一人一人が孤立したアトム
(原子)的世界観が結びつき、個人の魂がインフレーションを
起こしている。そして肥大した魂からナルシシズムが生まれる。
こういう時代状況に歯止めをかけることができるのは古典的
啓蒙だと思う。ポストモダニズム流行以後、私たちが軽視して
いた旧来型の教養を取り戻さなければならない。

絶対的に正しいものはある。ただしそれは複数ある。
価値観の多元性を認めつつ、絶対に正しいものを追求する
ことは可能であると私は信じている。

読む力と書く力が下がっていると知の体力が下がっている
と言っていい。いまの日本の知は新自由主義的である。
ビリギャルが通っていた塾は一括納入で百数十万する。
塾だけで私立学校の学費もあるので1年間で200万近い
お金を用意できる経済力がないとビリギャルは成功
できない。ただし大学で選ぶのではなく、大学に受かる
という目的だから、大学の授業をほとんど理解できず
お情けで単位をもらって卒業することになってしまう
リスクはある。

日本の義務教育は知識詰込み式でそれに慣れて
しまった我々はその延長で勉強する。丸暗記、解法
パターンで憶える式の勉強は得意ですが、それまで
の解法パターンのどれを使って対応すればよいのか
応用力がない。実社会では決まりきった問題が出て
くることはまずありませんから、知識ではなくモノの
考え方の土台をつくることをやっていかなければ
現実に役立つものにはならない。

考え方の土台作りのキーになるのが体系知という
概念です。断片的な知識ではなく、知識を結びつけて
体系になって初めて学問となるという考え方です。
いくら知識量があって博識でも、その知識の連関が
見えて体系知になっていないと意味がない。
体系知とは大きな物語である。

何かを学ぶときには、まず方にはまった知を身につける
事です。最初から型破りなことをするのはただのでたらめ
でしかない。基礎のないところに応用もない。基礎を
押さえていないと間違った方向へ進んでいってしまいます。
問題意識先行型は着想がよくても基礎的な学問の手続き
を踏んでいないと、その後、伸びていかない。

編集とは知の土俵を設定する作業である。
編集機能が入ると通説から極度に離れるものは留保がつく
もしくはハネられてしまう。

自分とは個別の私の集合体であり、複合的な存在である。
確固たる私というような考え方をしてしまいがちですが
それは違う。アイデンティティが複合している。自分の中
にも多元性はある。

多元的で複線的な思考を身に付けるためには、知の地盤
モノの考え方をつくっていかなければならない。
そのためにはタテの歴史を押さえていなければならない。
いまの学問は古代ギリシャから続く長い歴史の上に
成り立っている。

伝わる文章力を身に付けるには、写生文を書くのがいい。
読んでいる人にその映像が思い浮かぶように書いていく。
読む力はどれが主語でどれが述語、それという指示代名詞
が何を指しているのか丁寧な読み方をしていく。
この訓練を積み重ねれば読む力も書く力もつく。

ヘーゲルのような古典哲学を読み解いていくには、まず
解説書を読み、全体像をつかんでからの方が頭に入り
やすくなる。弁証法とは一方の見方と他方の見方が
対話をしながら発展していくという方法である。

いまの知識や能力で最高のものを出したとしても、時間が
経ったり、新しい知識を得たりすれば変わっていきます。
知そのものに、変化して発展していく内在性がある。
常に運動していて変化していく生成という概念であり
我々の勉強は生成の過程にあって永遠に終わらない。
いまの能力に応じた体系知は誰でも構築できる。
学に至る道そのものはすでに学である。

虚心坦懐で物事を見ていくけれど、それには偏見がある。
だから物の見方自体吟味しなければならず。
そこから体系的にモノを見るという知恵が付く。
その知恵が付いたとしても、他者にはその体系では
違うものが見えるかもしれない。そのことがわかっていれば
自己絶対化の誘惑に陥らない。時間とともに変化する
可能性はあるし、他者との弁証法的なやりとりを経て
発展していく。

弁証法とは、基本的には対話をベースとして真理を得て
いくことである。矛盾や対立、否定といったものを、対話
で乗り越えていく。真理を探究していく生産的なやり方
である。弁証法的な訓練をしていくことで重要なのは
敷衍というやり方である。物事を要約するのと逆で
意味を広げていき、例など挙げて説明することである。
敷衍するにはどの部分が重要かを見極める要約の訓練
が必要になる。
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